朝日新聞デジタルで2024年4月22日から「女子の進学変わりましたか」とのテーマで5回の連載記事が配信されました。連載「女子の進学変わりましたか」一覧 - A-stories(エーストーリーズ):朝日新聞デジタル (asahi.com)
私も第3回目「「女子は浪人耐えられない」?進路指導、校長の言葉に口挟めず」」に関連して取材を受け、コメントが引用されております。
女性の大学進学率は、進学率全体が上昇するのに対応して、戦後一貫して上昇傾向にはありますが、いまだに男性との差は埋まっていません。私が研究してきた東北地方の女性の大学進学率は、特に進学率が低く、私が進学をめぐる地方の教育環境とそのなかでの進学校の受験指導に注目してきた背景には、この現実が大きく関わっていました。研究対象とした東北地方は私の出身地域でもあり、なぜこれほどまでに進学率が低い環境、つまり女子の大学進学を後押ししているとは言えない地域環境のなかで、私は大学進学できたのか、しかも県外の難易度も高い大学に進学できたのか。都道県別男女別の大学進学率のデータを初めて目にしたとき、とても驚きました。
そこで進学校での進学指導に注目していくことになったのです。しかし朝日新聞の連載記事でテーマとなっているジェンダーの視点は、私の博士論文をまとめた『地方公立進学高校の受験指導』(東洋館出版社,2020年刊行)では欠いていました。その理由を今振り返ると、一見すると「進学校」の受験指導には、性差別的な指導の入り込む余地が与えないほど、「学力」という客観的で公平に見える指標による熾烈な競争を強いるものだったからではないかと思います。これは生徒の視点から言えば、ということになりますが、ペーパーテストの点数という可視化された指標によってのみ、自分の学年での「順位」が決まり、さらに志望校への合格判定もなされる環境に、男女問わずおかれることになります。一度「進学校」に入ってしまえば、そこには自分が「女性」であることを認識することなく、男子生徒と対等に学力という客観的で公平に見える指標によって競争させられる環境が生徒から見れば存在しているように思えるのです。
しかし一方で、最終的な「進路選択」(どのような大学を選び、どのような職業を選択するか)においてジェンダーにより異なる社会構造が用意されており、生徒のジェンダーによってその社会構造になぞった進路指導を教師も行ってしまうということが十分にあり得ると考えます。そうした社会構造を女性が周囲の環境から受容し、教師の進路指導においても社会構造になぞった声掛けがなされれば、それに「見合った」学力に微修正されるかもしれません。「そんなに頑張んなくてもいいいかな」ということで、生徒自身が自分に対する受験圧力を緩めるといってもよいでしょう。結果的に例えばこの朝日新聞の記事にあるように「女子は浪人が耐えられない」といった言説に即した現実が現れ、客観的で公平に見えるペーパーテストでの成績の減退という「根拠」とともに正当化されてしまうのかもしれません。
客観的で公平に見える「点数」の裏に潜む、ジェンダーによる周囲の期待圧力の違いが、博士論文の研究当時は見抜けていなかったことをこの朝日の連載記事を読み、思い至りました。
一方で、進学校は「客観的で公平に見える点数」を根拠に進路指導をしているという「装い」があるがゆえに、ジェンダーによる進路指導の差異が不可視化されずらい、ということもあるのではないかと考えます。つまり、女子は文系に、男子は理系にという明らかにジェンダーによる差別的な進路指導の促しがあるにも関わらず、「だってやっぱり女子の方が成績が伴わないからね」といった形で「成績」「点数」を根拠にしてそうした指導が正当化されやすい状況があるということです。
しかし、先進諸国において日本はSTEM分野の大学学部への女子の進学率が最下位レベルであることを考えれば、「女性だから」という理由ではなく、社会構造として女子の進学分野を狭める力が働いていることは明らかです。同様に、女子が大学やさらには県外の難関大学に進学する、ということに関しても社会構造による制約とそれに沿った進路指導の在り方が関係しているでしょう。
近年、日本では地域創生の文脈で「消滅可能性都市」というものが発表され、発表されるたびに対象自治体はそれになんとかしなければならないというプレッシャーにさらされています。この「消滅可能性都市」の定義は、「出産適齢期」の「20~39歳」女性の人口が2040年にかけて半減する都市となっています。一方で、人口流入が多いが、女性の出生率が低い、東京などの首都圏・大都市のいくつかの自治体は「ブラックホール型自治体」などと区分されています。若年女性を大都市に流出させることは、少子化が深刻化する地方自治体にとっては大事な自治体維持のための「生殖機能」をブラックホールに「捨てる」ような行為とみなされてしまうのでしょうか。地域社会がこうした見なし方を行ってしまえば、ますます女性の進路選択の幅は狭められる方に圧力が高まってしまうでしょう。「女性に外に行かれては困る」。地域社会のこんな声が、聞こえてくる気がしてなりません。
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